戦前・戦後を通じて台北帝国大学、東北大学理学部で活躍し、ヒノキチオールの発見をはじめトロポノイド化学の発展に偉大な足跡を残した有機化学者・野副鉄男博士(右写真・1902-1996年)の遺したサイン帳がThe Chemical Record誌で復刻公開され、世界各国の化学者たちとの交流を伝える貴重な記録として大きな反響を呼んでいます。この復刻企画を記念して、野副氏の生前を知る娘と孫による回想録が同誌に掲載されました。
⇒ Masamune, T., Masamune, H. and Masamune, T. (2013), My Father, My Grandfather. Chem Record, 13: 257–264. doi: 10.1002/tcr.201300003 (本文を読むにはアクセス権が必要です)
この回想録は、野副氏の娘で故・正宗悟MIT教授(1987年A.C. Cope Scholar Award受賞)と結婚したTakakoさんと、その子Hirokoさん・Tohoruさんによって書かれたものです。Takakoさんによると、野副氏がサイン収集に興味を持つようになったのは、1922年に来日したアインシュタイン博士からサインをもらったのがきっかけだそうです。誰とでもすぐに打ち解け、クラシック音楽や植物を愛した野副氏の温かい人柄を伝えるTakakoさんの回想とともに、1964年に国際会議のため来日したギルバート・ストーク教授らと野副氏が握手する写真や、ストーク教授が「有難う for a superb meeting」と記したサインなども見ることができます。
また野副氏の孫にあたるHirokoさんとTohoruさんは、ともに米国で生まれ育ちましたが、生前の野副氏と接した貴重なエピソードを語っています。祖父・父と同じ有機化学者になったHirokoさんは、既に90歳を超えていた野副氏がなおJACSに論文を投稿し、掲載が決まったばかりの論文を誇らしげに見せてくれた思い出などを綴っています。一方、TohoruさんもMITで化学を学びましたが、卒業後に転身してハリウッドで俳優をめざすことを決意しました。そのことが野副氏ら日本の家族にうすうす伝わり始めたころ、Tohoru氏は母Takakoさんから、野副氏が学会(1992年のISNA-7)でカナダに来ているから電話するようにと言われました。化学を捨てて演技の道に進むことを正式に告げていなかったTohoru氏は、野副氏にどうやって話を切り出せばいいか、どんな反応が返ってくるかと思い悩みながら電話をかけました。ところが、そのとき既に90歳に達していた野副氏は、自分からすぐさまTohoru氏の転身の話を持ち出すとともに、”That is SO great!!! You are truly following your own path!!”と激励してくれました。Tohoru氏が野副氏と言葉を交わしたのはそれが最後となりましたが、新しい道に入ることに不安を抱えていたTohoru氏の中で、野副氏の言葉は大きな励ましとして長い間残りました。Tohoru氏はその後、米国で俳優として成功を収め、Tohoru Masamuneとして現在も活躍中です。いずれも、長い生涯を通じて化学への情熱と人への愛情を絶やさなかった野副氏の人柄をよく伝えるエピソードです。