実利追求の傾向によって脅かされる研究者の知的自由|著名化学者John Meurig Thomas教授が英国の科学政策に警鐘 (ACIE)

科学研究に実用性・実利性が求められる傾向が強まる一方で、直ちに実用につながらない種類の研究が十分な支援を得られなくなることへの懸念は日本でもよく論じられますが、英国も同じ問題を抱えているようです。触媒化学・物理化学・材料科学といった分野での幅広い業績で知られるケンブリッジ大学の世界的化学者John Meurig Thomas教授が、Angewandte Chemie International Edition (ACIE)に寄稿したコラム(Editorial)で論じています。

 ⇒ Thomas, J. M. (2013), Intellectual Freedom in Academic Scientific Research under Threat. Angew. Chem. Int. Ed.. doi: 10.1002/anie.201302192  (無料公開)

Thomas教授によると、Maxwellの電磁気学・Paul Diracの量子力学といった英国発の革新的な科学的発見の多くは、科学者が純粋な知的好奇心から追求した結果生まれたものでした。それらを可能にしたのは、科学者の知的興味に従って、実用性とは無関係に自由に研究させるという、ニュートンの時代からの英国の大学の伝統だったと同教授は評価しています。実際、科学史上重要な発見の実用的価値がずっと後になって初めて認められることは珍しいことではなく、例えばX線・核分裂・抗生物質などが発見された当時は、それらの実用的な意義がなかなか理解されなかったそうです。

しかし、このように科学者の知的好奇心を尊重する英国大学の伝統は、現在危機にあるとThomas教授は考えます。近年の例では、英国の理工学分野で最も有力な助成機関Engineering and Physical Sciences Research Council (英国工学物理研究会議、EPSRC)が、助成金の申請者に対して、自分の研究が今後10~50年間のスパンでもつと考えられる国家的重要性を明記するよう義務付けました。それに対して学界から強い反対運動が起こった結果、最近になってこの要件は廃止されたそうです。

また同教授によると、2003年以降の英国政府は、大学に営利性を要求し、研究投資に対する利益を社会に速やかに還元するよう求める傾向を強めました。現在、英国の大学・科学問題担当大臣が「ビジネス・イノベーション・職業技能(BIS)省」に属しているのもその表れだとしています。

Thomas教授は、科学研究に実用性を求めることを一律に否定しているわけではありません。エネルギー問題に代表されるように、国家的に重要な研究課題は間違いなく存在し、また産学連携による共同研究がしばしば有効なことも事実です。しかし、それ以外の研究に対して道を閉ざしてはいけないというのが彼の主張です。

同教授が成功例として挙げる英国の研究支援策は、既に終了したROPA (Realising Our Potential Award)です。ROPAには、企業との共同研究で助成金を獲得した実績のある研究者が応募でき、研究者の知的関心による自由な研究に資金を使うことが認められていました。結果的に、ROPAが助成した約1千件の研究プロジェクトのうち、半数近くが潜在的な実用性を認められ、企業によって研究を引き継がれたそうです。

コラムの結びで教授は、英国でもほかの多くの国でも、知的自由が文化・経済・福祉に多大な貢献を果たしてきたことが理解されるべきで、大学の科学者の自由がこのまま損なわれ続けると、科学だけでなく社会全体に対して破滅的な結果をもたらしかねないと警告しています。

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