<記事紹介> ノーベル化学賞受賞から今年で100年、リヒャルト・ヴィルシュテッターの評伝 (ACIE)

リヒャルト・ヴィルシュテッター Richard Martin Willstätter (1872-1942) は、20世紀前半のドイツで活躍した有機化学者です。化学者としてのキャリアの出発点となったコカインの構造解明のほか、アントシアニジン、シクロオクタテトラエン、ortho-キノンなどの研究で大きな業績を上げ、クロロフィルなど植物色素の研究への貢献を理由に1915年にノーベル化学賞を受賞しています。またヴィルシュテッターは、日本の有機化学の祖といわれる真島 利行博士(1874-1962)のドイツ留学時の師でもあります。

ノーベル化学賞受賞から今年で100周年を迎えた彼の研究と生涯をたどる評伝が、ミュンヘン大学のDirk Trauner教授によりAngewandte Chemie International Edition (ACIE) で発表されました。

Angewandte Chemie International Edition

この評伝の中でTrauner教授は、ヴィルシュテッターが1924年に52歳の若さで引退した理由を検討しています。ヴィルシュテッターは、アドルフ・フォン・バイヤーの後任として1916年より就いていたベルリン大学化学教授という要職をこの年に突然辞職、その後相次いだ役職のオファーもすべて断っています。ヴィルシュテッター自身は引退の理由を明らかにしていませんが、当時のミュンヘンおよび大学での反ユダヤ主義の興隆がユダヤ人の彼を辞職に追いやったという見方が一般的でした。

しかし著者によると、確かに当時のベルリン大学で反ユダヤ主義の兆しは見られましたが、まだそれほど大きな動きにはなっていませんでした。ナチが政権を奪取し独裁体制を築くのは9年先の1933年のことで、1924年の時点でそれを予見していた人はほとんどいませんでした。著者は、反ユダヤ主義は引退の理由の一部に過ぎないのではないかという見方を示し、他の理由として、先立つ第一次大戦とその中での一人息子ルートヴィヒの急な病死(ノーベル化学賞受賞と同じ1915年)などの不幸の連続によって精神的に落ち込んだこと、研究者として盛りを過ぎたように感じていたこと、また当時取り組んでいたタンパク質および酵素の構造解明や酵素触媒の研究が思うように進まずいらだちを感じていたことなどを挙げています。ドイツ・スイスの有力な化学企業の顧問やいくつかの特許によって富を築いていて、経済的に余裕があったことも早期の引退を可能にしたようです。

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