化学ニュースサイトChemistry Viewsで昨年9月から連載されているエッセイ “The Saccharin Saga” (サッカリンの物語) は、ベルリン自由大学の元教授で化学ライターのKlaus Roth氏らが2011年にドイツ語で発表したエッセイの英訳で、世界初の人工甘味料サッカリンをめぐる豊富な歴史的エピソードを紹介します。(月1回連載・全6回で完結予定) 先に公開済みの第1~3話は、サッカリンの発見とその後の普及、また1970年代に起こったサッカリンの発がんリスク騒動の顛末を描きました。今回の第4話では、20世紀後半に始まった肥満対策としての人工甘味料への需要の高まりに触れたのち、約2千年前まで時代を一気に遡り、古代ローマで用いられた人類史上初の人工甘味料について語っています。原文は下のリンク先からお読みいただけます。
- 記事を読む The Saccharin Saga – Part 4 (January 5, 2016, Chemistry Views)
古代ローマにはまだ砂糖が伝わっておらず、一方ハチミツは非常に高価でした。代わりに、ブドウ果汁を鉛でできた容器に入れて煮詰めたシロップが甘味料として使われました。この甘味料には、煮詰める度合によって3つの種類があり、濃度の低いものから順にそれぞれカロエヌム(caroenum)、デフルタム(defrutum)、サパ(sapa)と呼ばれました。
デフルタムは、ワインの甘味を高めるために添加されたほか、さまざまな高級料理の味付けに用いられ、古代ローマのグルメたちにとって欠かせない調味料となりました。しかし、当時の文献に「デフルタムを煮詰めるときは、青銅ではなく鉛の容器に入れなくてはならない」と記述されたことが示すように、その味の秘密は鉛にありました。酸度の高い果汁を煮詰める過程で、容器の鉛が溶け出して酢酸鉛(II)を生じます。この酢酸鉛(II)は鉛糖(sugar of lead)とも呼ばれ、甘味をもつ化合物として知られています。
しかし、現代では常識となっているように、鉛には毒性があり、体内に摂取すると鉛中毒を引き起こします。酢酸鉛(II)も例にもれず有毒物質なので、間違っても古代ローマ人をまねて自家製のデフルタムを味見してみようなどと考えてはいけません。鉛の危険性を知らなかった古代ローマ人がどのくらい鉛中毒にかかっていたのかについては諸説あり、例えば地球化学者のリアグ(J. O. Nriagu)は、1983年に発表した論文で古代ローマ人が摂取した鉛の量を推定し、当時の上流階級に蔓延した慢性の鉛中毒がローマ帝国の没落を招いた可能性があるとまで主張しました。しかしその後の研究により、古代ローマの人骨に含まれる鉛の量は、近代人と比べてむしろ少なかったことが分かりました。古代ローマ帝国の没落の理由を鉛中毒に求めるのは、無理があるようです。