Chemistry Viewsの連載エッセイ「サッカリンの物語」第5話 / チクロの話

saccharin化学ニュースサイトChemistry Viewsで連載中のエッセイ “The Saccharin Saga” (サッカリンの物語) は、ベルリン自由大学の元教授で化学ライターのKlaus Roth氏らが2011年にドイツ語で発表したエッセイの英訳で、世界初の人工甘味料サッカリンをめぐる豊富な歴史的エピソードを紹介します。(月1回連載・全6回で完結予定) 今回公開された第5話は、サッカリンと並ぶ代表的な人工甘味料として市場を席巻したのち、1969年に発がん性の疑いから日米などで使用禁止となった「チクロ」を取り上げています。年配の読者の方なら、当時の大騒動を思い出すのではないでしょうか。原文は下のリンク先からお読みいただけます。

チクロの基になる化合物サイクラミン酸(cyclamate)が発見されたのは1937年で、米イリノイ大の博士号取得予定者だったMichael Svedaが実験中に偶然合成しました。当時は実験室で喫煙が普通に行われていて、Svedaはたまたま口にしたタバコが妙に甘いのに気付き、発見につながったそうです。このサイクラミン酸そのものだけでなく、そのカルシウム塩、カリウム塩、ナトリウム塩も同様の甘さをもつことが分かり、中でもナトリウム塩(サイクラミン酸ナトリウム)がチクロとしてのちに普及することになります。

サッカリンはチクロの10倍甘く安価に製造できますが、一方チクロはサッカリン特有の金属のような苦い後味がなく、砂糖に近い自然な甘味をもつことが強みです。1952年、NYの病院の名誉副院長に選ばれた飲料メーカーの経営者Hyman Hirschは、長期入院している糖尿病や心臓病の患者に楽しみを与えたいという考えから、ノンシュガー・ノンカロリー飲料の開発に着手しました。サッカリンとサイクラミン酸を使って試作を重ねた結果、味に勝るサイクラミン酸が選ばれ、またナトリウム摂取を控える心臓病患者への配慮からナトリウム塩の代わりにカルシウム塩(サイクラミン酸カルシウム)が採用されました。こうして1953年にノンカロリー飲料の先駆けとなるNo-Calが完成し、病院の患者たちに提供されました。

No-Calの味が好評だったことから、Hirschの会社は病院外での市販を開始しました。ハリウッド女優を広告に起用し、女性がスリムな体型を維持するのに役立つ効果を前面に出した戦略が当たり、No-Calはたちまち大成功を収めました。

Credit - TAGSTOCK1/Shutterstock

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のちに、サッカリン 1:チクロ 10 (サッカリンはチクロの10倍の甘さなので、甘さの上では1:1)の比率で混ぜることでサッカリン特有の苦みを消せる配合法が見つかり、他の飲料メーカーはこの混合甘味料を用いたノンカロリー飲料を発売してHirschの後を追います。一方、業界最大手のコカコーラとペプシは、人工甘味料を使ったダイエット飲料に主力商品と似た名前を付けることを躊躇した結果、コカコーラは1963年にTab、ペプシはPatio Diet Cola(翌1964年にDiet Pepsiに改称)の名前で発売することになりました。

チクロもサッカリンも、体内で代謝されずそのまま排出されることから、ともに1958年にアメリカ食品医薬品局(FDA)から安全と認定されました。ところがその後、チクロが腸内細菌によって分解され、シクロヘキシルアミンを経て発がん性物質に変化する可能性が指摘されたことから、1967年にラットを用いた長期実験が開始されました。実験では、ラット60匹に体重1kgあたり2.5g相当のチクロを毎日食べさせた結果、2年後に8匹で膀胱がんが見つかりました。

FDAは、この結果が人間に対する発がん性を意味するものではないとしましたが、人または動物でわずかでも発がん性が認められる食品添加物を認可してはならないと定めた「デラニー条項」と呼ばれる法律の存在と、メディア上での反チクロキャンペーンの結果、1969年10月に米国でチクロの使用禁止が発令されました。それに対し、英国や欧州各国では、チクロは安全な甘味料として使用が認められました。

上記の実験条件は、人間でいえば毎日330缶のダイエット飲料を生涯飲み続けるのに等しく、使用禁止の根拠とするには不適切という批判が学会などから上がりました。またその後に行われたラット・マウス・イヌ・ハムスター・サルを用いた動物実験では、チクロの発がん性を示す結果は一度も出ませんでした。しかし、チクロの特許をもつアボット・ラボラトリーズ社による度々の請願にもかかわらず、米国でのチクロの使用禁止は現在も解除されていません。

日本でもそうでしたが、1969年にチクロが使用禁止されたとき、米国でも短期間のうちにチクロ使用製品の撤去・入れ替えが求められ、大きな混乱を引き起こしました。飲料業界は、チクロの代わりに使うサッカリンの苦みを消すため柑橘系の香料を加えたり、ノンカロリーではなく少量の砂糖を加えた「低カロリー」飲料に切り替えるといった苦肉の策をとりました。その後10年も経たない1977年に、今度はサッカリンで同じような発がん性騒ぎが起こったことは、過去記事(第3話)に詳しく書かれています。

チクロとサッカリンの混合甘味料は、欧州などでは現在も食卓で普通に使われていて、現実的な摂取量であれば人体へのリスクはないという見方が多くの国の研究・行政機関に受け入れられています。今回の記事の著者らは、ラットによる根拠の薄弱な、またその後再現されていない実験結果から性急な使用禁止措置に踏み切った米国・カナダの行政当局に批判的な目を向けています。

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