<記事紹介> フリッツ・ハーバーの妻クララの自殺は、夫の化学兵器開発への抗議のためではなかった?

Clara Immerwahrフリッツ・ハーバー(Fritz Haber, 1868-1934)は、農業用肥料などに有用なアンモニアを空気中の窒素から合成するハーバー・ボッシュ法の開発で知られ、1918年にノーベル化学賞を受賞したドイツの大化学者です。彼の最初の妻クララ・イマーヴァール(Clara Immerwahr, 1870–1915)もまた、独ブレスラウ大学で化学を専攻し、1900年に同大学の女性として初めて博士号を取得した先駆的な女性化学者でした。翌1901年にフリッツと結婚したクララは、結婚後も研究を続けたいと願っていましたが、家事・育児に追われる毎日で研究から遠ざかったのち、第一次大戦中の1915年5月1日から2日にかけての夜にピストル自殺を遂げました。自殺の理由は明確ではありませんが、クララはフリッツが当時関与していた化学兵器(毒ガス)開発に強く反対していたと言われ、自殺は夫への抗議が目的だったという見方がこれまで広まってきました。のちの平和運動家が、クララを世界平和のために積極的に行動した人物として描くこともしばしばありました。

それに対して、このほどマックス・プランク協会の科学史家らは、同協会が所蔵する書簡などの史料研究に基づくクララの伝記記事2本を発表し、その中でフリッツの化学兵器開発への抗議目的の自殺という説に否定的な見解を示しました。これらの記事は、ともにドイツの化学誌Zeitschrift für anorganische und allgemeine Chemie (ZAAC) に掲載されるとともに、化学ニュースサイトChemistry Viewsで内容が紹介されました。

これらの記事によると、自殺の数か月前にあたる1915年1月、クララはフリッツの下でアンモニア合成法の開発に貢献したのち日本に帰国することになった田丸 節郎氏と手紙を交わしています。その中でクララは、連合国と交戦中のドイツへの愛国心を表明し、また出征した父親の帰りを待つ貧しい子どもたち57人もの面倒を見ていると綴る一方、田丸氏が語る政治論に対しては「外交のことは分からないので」と軽くいなしていて、行動的な平和主義者らしい姿は見当たりません。また別の記録には、フリッツが関与した最初の毒ガス戦(1915年4月22日)の成功を知ったクララが、夫の功績に誇らしげだったという証言も残されています。

それでは、クララの自殺の真の原因は何だったのでしょうか。記事の著者らは、夫フリッツからないがしろにされているという不満から長年抑うつ状態にあったことに加えて、親しかった友人の相次ぐ死、直前に発覚したフリッツの不倫、そして戦争による死や破壊がもたらした悲しみなど複合的な要因が積み重なって自殺の引き金となったのではないかとの見解を示しています。著者らは、現代の女性運動家や平和運動家が実像に合わない思い込みをクララに押し付けることを批判する一方で、女性が科学の道に進むことがきわめて困難だった時代に先駆となった人物としてクララを記憶し、女性科学者のさらなる地位向上に役立てることの意義を訴えています。

カテゴリー: 一般 パーマリンク