「今年は○○から何周年」と聞いてすぐにピンとくるものもそうでないものもありますが、私たち日本人にとってこれは後者のひとつでしょうか。今年2012年は、ナポレオンが大敗を喫したロシア遠征から200周年にあたります。
この200年前の出来事についての記事を、英国王立統計学会とWiley-BlackwellによるウェブマガジンSignificance Magazineが掲載しています。ナポレオンと統計学、いったい何の関係があるのでしょうか? 答は一枚の地図にあります。
⇒ Significance magazine - Napoleon’s Russian Campaign - 200 years on.
1812年6月24日、ナポレオンは422,000人という大軍とともに、ポーランドから国境を越えてロシアに侵入しました。その後、ロシア軍との相次ぐ戦闘で徐々に兵力が削られ、ようやく辿り着いたモスクワでは大火が発生(ロシア側の焦土戦術ともいわれる)。ナポレオン軍は、大部分が灰となった市街に残されました。
その後ナポレオンは、パリで発生したクーデターの報を受けて一足先に帰国。残された軍隊は、飢えとロシアの厳しい寒さ「冬将軍」に悩まされながら敗走を重ね、その中で多くの兵士が命を落としました。何とかフランスに帰り着いたのはわずか4,000人、出発時の軍勢の1%にも満たなかったという悲惨な戦いでした。
生きてフランスに帰った数少ない兵士のひとりである土木技師Charles Joseph Minardは1869年、この敗戦の記録を後に有名になる地図にまとめました。ロシア国境とモスクワ間の行軍の道のりを往路は褐色・帰路は黒の線で示していますが、重要なのは、線の太さがそれぞれの時点で生き残っている人数を表していることです。 ⇒ Minard’s map
国境を越えた時点では軍勢が太い帯で示されていたのに、モスクワに着くまでに次第に細くなっていき、敗走後に国境に戻ったときにはごく細い線にまでなっているのが一目で分かります。客観的なデータをこの上なく明解に視覚化しながら、行軍の悲惨さを痛ましく伝えるこの地図は、後に統計グラフの最高傑作として称えられたそうです。
この地図は、日本語版ウィキペディアにも、情報を視覚化して表現する「インフォグラフィック」の例として取り上げられています。
⇒ ウィキペディア - インフォグラフィック